2013年7月31日水曜日

ツボとり

最近鍼灸師の友人に、ツボのとり方とお灸を習っている。
ツボっていっぱいあるから全然覚えられない!と思っていたけど、
一個一個覚えるんじゃなくて、
経路と呼ばれる体の地図的な考えと、
自分の手の感覚を使って見つけられる。
すね毛がモシャモシャしてても見つけられる。

そんでもって、
部分っていうのはいつも相対で、
部分の中の部分を探っていくことで、ツボを見つけられる。
全体と部分が繰り返し入れ子になってて…。
体ってやっぱり、宇宙と同じだ!
なーんていう風に、
毎回「へええー!」と感心することばかり。
そんで前回「なるほど~!」と膝を打ちたくなったのが、
マッサージと鍼灸のアプローチの違い。

マッサージをよく施すわたしは、
エネルギーが滞って硬くなったり固まったりしている、
いわゆる「凝り」と呼ばれる部分を見つけ、対処するのがいつものやり方。
でも鍼灸は全く逆のアプローチ。
力が足りない部分を刺激し、力を呼び戻すのが得意。
どっちにしろ体のバランスを取り、最終的に治ることにつながるので、
どっちも方法としてはあり。
けど、お灸で両方試してみたら、明らかに後者の方が効きが早かった!

なにしろ「余計な力を抜くこと」が肝心だと思っていたけど、
それを真正面から対処するのではなく、真逆から対処するのが面白い!
力の入り過ぎてる部分に注目するのではなく、
力の入ってない部分からアプローチすることで、
一気に全体に働きかけるという発想が、
とっても斬新!!!
そして治療が早いと何がいいかって言ったら、治療者が疲れないということ。
これはとても大事。

東洋的な発想と呼ばれるものは、ホリスティック。
対処療法ではなく根本治療であったりとか、目線はいつもトータルで。
だから論理より、やはり最初に直感ありきだよな~。
「なんとなく」という言葉が好きなのも、
そんなことを感じさせるから。

体って本当に、
いろ~~~んなことを体感で教えてくれるのだ。
ありがたい。

瞑想 祝祭の芸術

「どうやって眠りに入っていくんだろう?」と思って、
ギリギリまで覚えていようと、
小さい頃から何度も試してきた。
けど、未だ実現せず。
やっぱ無理なのかなーと思っていたけど、
この本によればできるらしい。

「眠りって何?」「夢って何なの??」
小さい頃は疑問がいっぱいである。
そして大人になった今でも、
わたしの中には、
答えのないままたくさんの謎が残されている。

小学生だったあの頃、わたしが知りたかったのは、
「無意識」という、近くて遠い世界だった。
そして改めて「瞑想」として出会ったものの根っこにあるのは、
わたしがもともと、自然にやっていたことだった。

自分の死ぬところを想像すること。
ものと無言でコミュニケーションすること。
朝起きて伸びをして笑うこと。

退屈していることも忘れるくらい、
死んでしまったかのように静かなとき。
何もなくなったときの満たされた感じを、
繰り返し繰り返し、
思い出そうとしている気がする。
何もないこと、何もしていないことの、喜び。

対象なく至福を感じること。
それは一人静かにいることかと思っていた。
ノイズの多さに、疲れてしまうことが多かったから。
でも本当は、人と一緒でも、どんなときでも、
心から幸せでいるために、
必要なものなのかもしれない。


「瞑想 祝祭の芸術」 バグワン・シュリ・ラジニーシ

2013年7月22日月曜日

New movement of Japanese politics _ 2013 Japan Upper House Elections



The wish of me and many my friends is different from Japanese Government. Our hope... Peace, No war (Keep Constitution Article 9. We proud of it.), No nukes (Not only Japan. The air and the sea are only one all over the world. The pollution is for everyone.)
I think that we have possibility to do good for the world including an own country, because Japan is the country which experienced both the world war and 3.11 nuclear disaster. We want to be never repeated them. We need to become wise.

Yohei Miyake(34) run for the Upper House election. His style of campaign and speech and fashion is completely different from typical others. The biggest difference is that he works for love, not for a desire. He hopes that the world change better than he is elected. His faith is human and global. He said "This (movement) is not battle. We shouldn't fight for it. We should discuss thoroughly till we make harmony." He repeats "I'm not special, the same as you. I showed courage. Next is your turn." He wants the same for us...we work for love, not for a desire.

He was not famous and not rich, but got 176,000 votes by the election activity of very low cost. However, he was not elected. Because he didn't belong to the strong party. (The system is that it's voted both with an individual and with a party. The party, which has high popularity, can collect votes as one party easily. Since it can do the advertising to every corner and has many candidates.)
Are we minority? I think that many people hope "peace" and "sustainable world". Across a border.

*
Yohei Miyake “Talkin’ About The Revolution”
http://spacehousepeople.wordpress.com/2013/07/12/yohei-miyake-talkin-about-the-revolution-at-his-election-fest-in-japan/

Upper House Election And A Trajectory Of Post-Fukushima Japan
http://spacehousepeople.wordpress.com/2013/07/21/taro-yamamoto-and-yohei-miyake/

Yohei Miyake's legendary"Campaign MC". (The video now available with English subtitles.) http://in-the-eyes-of-etranger.blogspot.jp/2013/07/2013-japan-upper-house-elections-greens.html

*
ARTICLE 9.
1) Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
2) To accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.

*
We have the Self-Defense Forces. This contradicts it. But it's only on the word. They act in the domestic and foreign rescue operations. However, they don't need to fight of killing persons.

2013年7月10日水曜日

ヴィパッサナー瞑想、無と軸

ヴィパッサナー瞑想の10日間コースを受けてきました!
10日間、ひたすら瞑想だけをするこの生活、
究極のシンプルライフで、出家気分が味わえまっす♪うふ。

人間に生まれたからには一度はやってみたい、出家。
なんつったって、煩悩があるのは人間だけさ~。
煩悩が溜まりきっていたわたしには、時期的にもピタッとはまり、
めちゃめちゃ濃い体験ができました。
今も日々の瞑想、続けています。

ヴィパッサナー瞑想は2種類あって、
わたしがやっているのは、ゴエンカ氏が教えている方法。
自分が「瞑想」という言葉から連想してたものとはちょっと違っていて、
自己観察を通して、落ち着きを取り戻すという点では同じだけれど、
ヴィパッサナーは、心の汚濁を取り除き、心の平和をもらたすための方法として、
「無常」を「自分の体」で体験する。

無常って、イメージとか、対象を通してだとわかりやすいけど、
自分の体で、直に、無常を感じてる、
そのことを意識するのって、あんまないと思う。
食べる→うまい→でもそれは消えていく感覚である。
見る→きれい→でもそれは消えていく感覚である。
ぶつかる→痛い→でもそれは消えていく感覚である。
全ての感覚は生じ消えていく。
そのことを体感することで、嫌悪や執着をなくしていく。
全ては通り過ぎていくことを、体が知り、
脳での考えとしてではなく、心と体が自然と手放していくのだ。
心の縛り目を。ひとつひとつ…。
そしてそのことを繰り返し体感していくことで、
人生の浮き沈みにあっても、
常に落ち着いた心持ちでいられるようになる、というもの。

それが具体的にどういう体感になるかというと、
痛みになって現れることが多い。
瞑想中、急にどっかがめっちゃ痛くなる。でも病気でもないし…原因不明。
コース後に聞いたら、みんなこれを経験していた。
あとは普段、体の感覚に無頓着な人は、無感覚として体験する。
心のこわばりはそのまま、体のこわばりになる。
それを取り除くことが、まずは必要なんだろう。
感じることができれば、体は話しはじめてくれる。

それを体験するために、まず、心身ともに静の状態を作り出す。
9日間は、完全なる沈黙の状態をつくるので、コミュニケーションはNG。
外界との接触はなし。携帯も本もなし。
人と話すことも、アイコンタクトもしないし、
読むことも、書くこともしない。
脳みそが無…。

「奇跡の脳」というノンフィクションの本があって、
脳科学者が脳卒中によって右脳だけの世界を生きるようになり、
その後回復していくまでが描かれている本なのだけど、
その世界観に近い気がする。
過去や未来という時間感覚や、言葉による思考がなくなると、
脳の中に静けさが降りてきて、幸せに感じる。
宗教で「この瞬間にあることが大事」とはよく言われるけれど、まさにそれ。
その場にいて、感じていることだけが、すべて。

もちろんコースの間も、しょーもない悩みがいっぱい出てくる。
足は痛いし、お腹も減るし、
朝の4時半から夜9時近くまで、休憩以外はほぼ瞑想してるので、
いい加減ぐだぐだになったりするし。
わたしは瞑想中一回も眠くならなかったけど(普通は眠くなると思う)、
脳が退屈すると、楽しい妄想をはじめちゃうという癖があることに、今回気づいた。
瞑想中、妄想ですごく楽しい気持ちになってきたりして、
こんな楽しいなら、わざわざ瞑想しに来なくても…って疑問感じたり。

たぶん一般的には、終わって解放されて、よかった~って感じなのだろうけど、
わたしはその沈黙の9日間が、なーんか妙に幸せだったんだよね。
夜の寝つきはめちゃ悪かったけど(意識が目覚めすぎて)、
4時起床の10分前に毎日自然と目が覚めて、
休憩時間も、ひたすら風を感じたり、風に揺れてる木々を眺めたり、
虫や鳥を眺めたり、ストレッチして体と会話したり。
言葉がなくなると体で表現したくなり、またフラダンスやりたいなーって思ったり。
唯一他の人に話しかけたかった瞬間は、夜道の草むらで蛍を見つけたとき。
「見て!蛍だよ」って。
それ以外は、話したいという欲求がまるでない自分にびっくりした。
言葉って…。

これまた「言葉のない世界に生きた男」というノンフィクションの本があって、
言葉を使わないのではなく、言葉という概念がない人の話で、とても興味深い。
人は言葉という共通の道具で考え、意思を伝え合い、
それが行動に大きく影響するという、事実。
当然過ぎて、わたしたちが意識していないもの。その不思議。

コース終了後、居残りして、仕事を手伝って、
その後またみんなで瞑想したら、
またぜんっぜん違う感覚で、おもしろかった。
参加者のお世話係をボランティアでする奉仕というのがあるのだけど、
それをやってから座ると、また違う感覚が得られるとは聞いてた。
まさにそう!!!これもまた、じっくりやってみたいなー。

パーマカルチャーもそうだけど、
自分が「大きなもののひとつである」という感覚が、いい感じで得られることは、
すごく気分が楽になることだと思う。チームワークみたいなもの。
パーマカルチャーだと、自然の中の一部である自分を感じるし、
ヴィパッサナーだと、人類愛みたいなものの一部である自分を感じる。
後は瞑想中にいろいろ見たり感じたりしたけど、
変な色眼鏡をかけてしまいそうなので、特殊そうな話はここではしません。
興味のある人は個人的に聞いてちょ~。

そして一番の変化を感じたのは、帰り道、
都会が苦手なわたくしですが、東京駅でもなんだか、
心地よくいられる自分を発見。
もう一人一緒にいた人も同じ感想。
周りに対して無感覚とは別な感じで、
なんか変に周りのことが気になったりしないの。
ざわざわした場所でも、自分の心にはざわざわがない。
不思議な感じ…。

今はそこまでの強烈さはなくなってしまったけど、
体はやっぱりあの感覚を覚えている。
その状態が訪れてくれるように、自分を整えていたい。
前はね、それを自然の中にいる、とか、好きなことをする、とか、
外側の対象に求めて、心地いい環境を作り出そうとしてたんだけど、
それを、自分の中に求めることも、はじめたって感じかな~?
ヨガとか、ボディワークに近いかな。

ちなみに瞑想中、自分の体をどうやって観察するかと言えば、
気を自分の体に巡らせ、よきも悪しきもありのままの状態を感じ取る。
普通は嫌な感覚は無視したいところだけど、そこを見るのが大事。
ダンサーやスポーツ選手はそういうのを日々繰り返してるから、
心が自然と鍛えられるのだと思う。
そんでわたしは、一点集中が大事だと思って生きてきたのだけど、
一点の感覚を感じつつも、体全体も意識してることが大事っぽい。
野生動物のように、全身で生きる。
それはただ緊張するのとは違って、心地よいものなのかもしれない。

旅の途中、いろんな環境でいろんなことを体験するうちに、
まだまだだな~自分…とつくづく感じて、
どこにいっても、何があっても、ブレない自分をつくりたい、って感じていたのだけど、
その答えをひとつ、ここに見つけた気がする。

せんろはつづく~よ~どこまでも~